恩田陸『Q&A』リアルタイム感想その7

恩田陸『Q&A』幻冬舎、2004

進度

救助隊員の章を読んだ。のは一昨日なんだけどのんびりしていたら一日過ぎ、日付も超えていた。

回答者

救助隊員。妻、子供三人と暮らす。両親を亡くしていて、その時も別のクリニックに通った。

事件という特別な出来事によって日常こそが特別だと気付いてしまう、つらいね。以前は仕事が特別だと思っていて、家は日常に帰る場所だった。仕事:特別、家:日常と完全に切り換えるイメージ。その認識が、両親の死によって家の日常が失われることで崩れ、メンタルを壊してしまった。家の明かりを点けるのが怖いという特徴が、不調の例として好いし仕事と家の切り換えスイッチの象徴として合っていて上手い。両親の仕事や家での関わり、息子の名前などがさらっと出てくる感じがほんとに日常っぽくて自然だね。

Mは、他の章でも言及されていたように、日常生活で利用される普通のショッピングモール。だからこそ、理由の見つからない事件は当事者たちから日常の基盤を崩す。この事件の性質をやっと確信できた感じで、どうしようもなくやるせない。

この救助隊員の人は、日常こそがかけがえのない特別なもの(というとなんかいい意味っぽいけど)だとわかってしまったから家や家族と幸せに過ごすことが怖くなってしまったんだなあ。今幸せだということは、今より後の時間でその幸せを失いうる。それは何年後かもしれないし、今日かもしれない。常に失う恐怖に晒され続けたんだね。

我々を試す誰かについては、脚本家の章でも「誰か」という言い方で、大きい存在には地球は蜘蛛の巣に掛かってる砂粒みたいなもので、ある日払われてしまう、みたいなことを言っていた。今回はそれとまた少し違って、人間の殺し方を試行錯誤しているんだと。人類の歴史は新しい殺人と事故死を開発してきた歴史だって言われるとたしかにそうねえ。何の為に死ぬのか、現代人未来人特有のものが増えていく。人間を使って(パニックや連鎖反応で)人間を殺すやり方がMの事件だと。プログラムを走らせるときってなんとなくこんな気持ちでやってしまうかもしれない。壮大な話で付いて行きにくいけど、人間は現象に対して冗談でもいいから理由を仕組みを見つけたいのだなあと思う。名前が付いていないのはつらいという話と一緒。

質問者

クリニックの先生。救助隊員の人の治療をしている。質問をするというよりは、救助隊員の人が自分について話すのを促す役割。基本的に全肯定。何気に、Mの事件に完全に関係していない(本人も家族も友人も仕事も事件に関わっていないと思われ、自分から知ろうとしていない)初の人物かも。びっくりしただろうなあ、この章、この後どうなったんだろうなあ。