M-1グランプリ2023決勝予想

どうもカスです。

今、15:13。敗者復活戦が開幕した。THE W方式に近いかなーと思う。まあ一旦普通に楽しみつつ、合間に決勝の予想を開始していく。

塙、お前船降りろ。審査員が参加者のネタを左右させるようなドッキリをやるな。志らくステイ塙アウトともこインが最高だったね。実力や審査の能力的には申し分ないけど、いちばん最低限のところでアウトな不祥事だと僕は思っている。極論犯罪よりも賞審査員としては良くない。敗者復活戦の審査員豪華すぎるだろ。石田や野田は塙の代わりができると思う。漫才協会という"枠"の政治的意義もあって決勝審査員の席に座っている面がある。

 

各コンビ雑感

令和ロマン

純粋にM-1のためのネタを仕上げてきそうなのはこのコンビかなと思う。もちろんお笑い戦闘力的なパラメータがちょっと高すぎるという点も大いに関係するが、そこに賞レース補正もかかって、確実にM-1勝戦に相応しいことをやってくれるんだろうという期待がある。決勝に行くのは初めてだけど、2本目や、2本目をやれるような1本目をやれそうだと思う!

ただ、たとえば松ちゃんにハマるのかはわからん。何気に、東のお笑い・若い層向けのお笑いの極致に近いところにいるような気がして、それが審査員と合うかは未知数。もしも若さをチャンスが多いという方向で解釈されると優勝は危うい。実際のところそんなこと審査に関わらないが、我々、無意識の影響からは逃れられないので。

 

くらげ

他に比べると派手さは薄いかもしれない。濃い味付けにするほどインパクトや勢いがあると解釈されるかもしれない(客がノればの話だけど)。だから、点数的にめちゃくちゃ強いとは言いづらいかも?

わかんねえけど、両者のキャラははっきりしていて、ズラシがおもしろいコンビだと思うから、その辺りが一度爆発して楽しみ方を掴んでもらえさえすれば、爆笑と高得点を生めるポテンシャルはある。わかんねえけど。

たまにボケツッコミを入れ替えているというのも強みっていうか、おもしろみがある。実は両方元野球部らしい。

 

カベポスター

去年はトップバッターなのに高得点で、レベルの高さを象徴したと認識している。今年は流石にトップではないと思うし、知名度も上がったので、普通に絶対評価で見れば高くなるはず。2本目行くかどうか、正直めちゃくちゃ判断が難しい。わからない。

お二人のかわいげが良い方に働けばいいなと思う。

 

さや香

去年2位なんだよな。去年のウエストランド優勝は、個人的には応援していたとはいえ、出番順最後という天の配剤が強すぎた面もあると思う。さや香がインタビューで「運次第」と言っていたのが印象的で、トップバッターとかヤケクソにならざるを得ない出番順になったとしても楽しませたり高評価を得たりできるという自信でもありそうだし、運が向かないと優勝は難しいという実感もありそう。

2本目は行くかなと思う、喋り始めだけで雰囲気がもうおもしろいよ2人とも。

 

真空ジェシカ

3年連続決勝って敗者復活誰になるか抜きにすれば今年唯一だよなたぶん。未だに尖りやネタが尽きてる気配が一切無い。

なんとなく、ここまで変わったことやる人たちが高評価を受けられるのは、これまでの大会で徐々に醸成されてきた土壌だと感じる。そういう意味では追い風で、2本目行ってほしいな。相性次第、審査員が3度目のニッチさにどのくらい善し悪しを付けるか。

 

マユリカ

個人的に推すのは令和ロマンとマユリカなんだよな。優勝とか賞レースではなく、おもしろい漫才師としてだけど。両方がきもちわるめのなりきりをできるのがマジですごくて決勝でおばさんを見たい。点数的にも、なんとなく審査員に合わないことはなさそうで割と良い順位出るんじゃないかと思う。

 

ダンビラムーチョ

YouTubeの「野球部あるある」再生リストに852本の動画を所持。852!?

今年は野球のニュースが多くて、2023年の年末に野球ネタをやる意義は結構深く、他の年よりはかなりウケやすいかもしれない。まあ僕自身は野球わかる奴なんて世間の一部なんだぞって言いたい側の人間なのだが。

個人的には、おじさんのネタがおもしろかったのでやるんじゃないかと期待している。

歌ネタもあり得るけど、点数化するとき(と映像化するとき)にしゃべくりよりもプラスということは無いと思ってる。そういえば銀シャリって歌ネタで優勝した?

 

ヤーレンズ

キャラは強いのに滑らかなのがすごい。不思議な感じだよなあ、落ち着いているのに、ひとボケずつがスルーされずにおもしろい。

ツッコミがどのくらい爆発するかで総合得点が変わってきそうな気がする。インパクト面では他のコンビにも強いのがいるので、相対的な強みはシチュエーションとか小ネタの旨味で出てくるのかな。

 

モグライダー

積み上げてきたものを全て出すのではなく運ゲーをやっている。あれでどうやって出番時間を正確に守っているのか訳がわからない。すごすぎる。

初見のおもしろさが大きい組かなーという感じがあって、他の決勝経験者よりも不利かもしれない。

 

敗者復活戦結果

現在、敗者復活戦Bブロックが完了してニュースの時間。敗者復活はヘンダーソンナイチンゲールダンス、Cブロック勝者の誰か。

Cブロックは、きしたかの好きだけどバッテリィズとかかなあ。待つ。

シシガシラだった。美しすぎた。

シシガシラ

ハゲネタ-1グランプリがあればここ数年は優勝していると思っている。

人を傷つけない笑いの時代には自分から狂人になって強靭な強くツッコミ入れていい空気を纏うのがレギュラーのやり口になっている。その環境下で、見た目イジリでどう笑いを取るかという別の戦いもやっているわけで、まあニッポンの社長も今年の敗者復活戦で戦っていたけど、お笑いの力とはバイオレンスな力、秩序を破壊する力であって、そことスマートさ、かわいげを両立できるので元々割と好きな組ではあった。

美しさに感動した、今年決勝行くとは思っていなかった申し訳ない。

 

順位予想

わかりません。

第一ラウンドは、

令和ロマン

さや香

マユリカ

真空ジェシカ

カベポスター

モグライダー

ヤーレンズ

シシガシラ

ダンビラムーチョ

くらげ

とかで。

決勝経験者の信頼性が高すぎる。僕の信用度が低すぎるとも言う。いやでも、今年の決勝経験者はみんな連続でしょ。実力充分すぎてなあ。

 

優勝は、さや香

【感想】ひこ・田中『ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?』

本の感想

きっかけ

本記事は『仮面ライダー』、『仮面ライダー響鬼』、ED「少年よ」への悪口を含みます。
「レベルアップ」などに代表されるゲームの「成長要素」、その源流に興味が湧いたため読んだ。
ゲームの成長要素はなくてはならないものかというと、「作品による」だと思う。あっておもしろくなっている傑作やあることを前提に作られている傑作が多すぎて、僕はやりたいゲームを夢想するときに(システムやプレイヤーの)成長から考えている。まだおもしろいゲームを創造できる段階にないので、その思考法が合っているか間違っているかはどうでもいい。
純粋に、自分が「成長」と「物語」とを結びつけているのがなぜなのか考えたかった。読んでよかった。

概要

本書『ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?』は、題の通り、戦後に本邦で受容されてきた子ども向けの作品を通時的に紹介していくサブカル論になっている。章立ては、テレビゲーム、テレビヒーロー、アニメ(男の子編)、アニメ(女の子編)――魔法少女世界名作劇場、マンガ、児童文学、子どもの物語たちが示すもの。媒体ごとに具体例を挙げているので読み応えがあって単純に楽しかった。副題の「なぜ成長を描かなくなったのか?」をテーマに、子ども向けの物語(を与えてきた大人)の姿勢を分析していく(が、この成長の問題の結論は、筆者にも出せていない、誤読でなければ)。
最重要点として、「いつ」の視点で述べられているかが気になる。時代性。2011年の本だよ~。僕の読んだ第一刷は2011年8月20日発行となっていて、あとがきには校了後に東日本大震災が起こったと書かれている。震災直前の世界の視点であることは、ひとつ重要な価値だと思われる。個人的には、その震災前の本においてあとがきで震災直後の子どもの姿や見られ方、子ども向けの物語の行く末に触れていることに感銘を受けた。最新の情報を載せよう見つめようという誠意があるし、後の時代の人間に託すメッセージとして適切だったかと。

僕の守備範囲

ゲームから本書を手に取りつつ、『機動戦士ガンダム』や『仮面ライダー剣』、『ウルトラマンネクサス』の話に興奮した。
ガンダム』シリーズでは、大人の不在を再確認できて、イマイチ言語化できていなかったガノタが卒業しない理由にまで思考を深めてもらえた。
『剣』『ネクサス』では、過去のシリーズからのヒーロー観や結末の破壊的な変化を説明していた。
『剣』以上の好例がありそうに思えた。僕は剣崎一真を完全な「職業ライダー」に分類することに抵抗があるし、仮に最初にそう提示されていると見るのであれば終盤の彼は「成長」の結果としなければならない(もっとも、本書は『剣』について成長を描いていないとは言っていない)。
『ネクサス』の試みについての説明は概ね肯定できた。その後のウルトラシリーズにも触れていて、それらやニュージェネがある未来から見ると、結局のところ『ネクサス』はおそらくウルトラマン分水嶺ではなくむしろ異色作になるのだろう。しかしながらウルトラマンの歴史において本書で指摘されるような試みがなされた時代ということはたしかに重要で興味深い。僕はウルトラマンにあまり詳しくないのだが『ネクサス』は一番好きな作品で、本書は指摘こそすれどの作品のことも批判しないでいてくれるから読みやすくてありがたい。実は本書を見つけたきっかけは『ネクサス』のWikipediaを見たことだったりする。余談だけど『ネクサス』への個人的見解としては、姫矢も憐も西条さんも孤門も喪失からの回復という型の成長物語になっていて、戦うことを通して自身や周囲の人間が持つ心の力(諦めるな!)に適応することで不可逆的な喪失を乗り越えていく話だと思う。本書での着眼点は主人公(孤門)が中心かという点と戦いや怪獣が人々に開かれたものかという点であるので、僕の見解と特に違わないけれど、結末については若干解釈が異なる。『ネクサス』のラストはやっと視聴者にウルトラマンへの変身を夢想することを許したということで、シリーズ他作品で当たり前にあったウルトラマンである権利を、視聴者のところまで運ぶリレーがデュナミストたちの戦いだったのではないかな。ウルトラマンノアは、ノアという選民的な名の、洪水を乗り越えて地上に繁栄をもたらす者としての側面を象徴しているように思う。君も諦めなければ光を放てるという、普遍的な、ウルトラの星で自明の真理を視聴者まで届けるために、ウルトラマンは何人もいるという相対化を試みた作品に見えている。成長を描かないと言われればたしかにそうではあるのだが、コンセプトとしてそもそも結果としての成長よりも成長・変身の前段階をしっかりと描いた作品だったのではないか。だから苦しく、尊い

良かった点

仮面ライダーの話には後で戻るが、一旦本書への感想そのものを完走したい。
執筆当時既にフェミニズムサブカル論は日本でも力を持っていてそんなに特別な視点でもなかっただろうけど、支持を集めている作品や筆者が親しんだ作品について女の子の描き方が女の子向けではないことを指摘しているのは納得感があった。
作品や社会のここがダメという口調ではなくて、女を性的な属性・成長で描いてきたよね、男の子向けが優先されてきたよね、女の子向けを確立するためにこういう段階が必要だったよね、大人の男が作った女の子向けに元々あった要素で作った男向けの魔法少女ものはオナニーに使われることもあるだろうね……という、冷静な事実の確認が多くあった。
批判や否定がいけないとは思えない。一方で、冷静さを欠くよねっていうか読んでるこっちは冷めるよねというのは感じてしまう。特にX(Twitter)(TwitterをXと表記しかつわざわざ括弧つきで言及することで時代性を表現)とか見ているとね。
特定の対象を批判しようという目的意識を持つと、その対象を特定の何かとして具体的に象らせる必要が出てきて、批判対象を貫通する一定の性質を定める責を負ってしまう。これが重荷となって、被批判側(擁護側)は議論のための議論を展開し延々と結論を先延ばしにできてしまう。本質を突いて論破してやろうという姿勢は本質的な議論からむしろ遠ざかる。だから良くない。
ある対象から何らかの性質が抽出できたとして、それが関連する他の対象にまで当てはまるかは本当のところかなり難しい。具体例に対して具体的な要素を並べる本書は客観的な分析に成功しやすいと感じる。

まとめ、成長について

肝心の「成長」について。
子ども向けの物語において成長とは、子どもが大人になっていくことだ。
時代背景やら経済的チャンスやらによって、小さな大人ではない「子ども」という身分を設定した。同時に、「大人」という身分もまた自動的に設定された。「大人」はたとえば我が国では成人年齢が決まっているので全員が強制的になれるもの。
では、身分としての「大人」ではなく本質的な大人に成長するにはどうすればいい?
「大人とは何なのか」「なぜ大人にならなければならないのか」などの「成長」の根本を子どもに見せられていない・見せられなくなっていったのが現代の子ども向けの物語ではないかと本書は問いかける。
僕が味わってきた平成時代の作品は成長からの脱却(まあぶっちゃけ放棄だよね)後の物語に位置するので、正直なところピンとこない。成長を内面の変化くらいに捉えてきていて、そういう意味では僕の好きな物語のキャラクターたちは成長している気がする。でも、心当たりも無いではないので一旦受け入れよう。成長を描いていないこととする。
DRAGON BALL』と比較する形で、『ONE PIECE』のルフィを最初から無敵で成長しないキャラとして例示していたが、たしかに昨今の少年マンガで「修行描写」より「戦いの中で成長する」の方が(主に密度の面で?)好まれているような感触はあるかもしれない。実践よりも、実戦あるのみ。
本書では、成長が描かれなくなった理由として、現実で、情報へのアクセスの簡便化によって経済や情報量の面で大人と子どもに差がなくなってきたために、「大人」を大人らしい大人(成熟した、安定した……)として繕えなくなったことを挙げている。陳腐で、その分ある程度確からしい理由じゃないかな。
「なぜ成長を描かなくなったのか?」の明確な答えは出されていない。思考材料を代わりに集めてくれるのが本書の仕事という感じ。こっちの思想の邪魔をしてこない筆致なので余計にそう感じる。
総合して、特に子ども向けのアニメや特撮に興味がある人は読むと何か考えが深まるかも。キャラクターよりもキャラ(マスコットキャラのような物語抜きで成立するキャラクター)の方が好きな人にはピンとこないかも。あとはやっぱり自分や社会における大人への成長に疑問や不安がある人にはおすすめしたい。思春期の時の僕が読むと喜びそうだな。

 

僕の観想

僕の世代の子どもたち

ここから僕のターン。僕は、(成長が描かれなくなったかは置いておいて)自分と同世代の「子ども」については、「昔よりみんなが賢くて現実や世界を直視できてしまう」と「大人」に説明してきた。同等に陳腐で、根拠は同じく情報の近さと広さが上昇したから。強いて加えるならば、生まれてこのかた(平成生まれって年齢=失われしウン十年ドンピシャ)経済状況が好転した経験がないから。僕は20代後半なんだけど、まあ35歳以下の日本人は総じて就職氷河期じゃないにせよ親よりはサムイ時代を生きてそうなのよ。難しいね、生活水準や娯楽は確実に良くなってるはずなんだけど、普通に生きているだけで世界の暗いモノ・コトにちゃんと触れられるようになってしまった。生まれつき嘘を嘘と見抜ける人。物語って、ウソやからね。

なぜ成長を描かないのか? 色んな説を立ててみる

身も蓋もないが、成長が描かれなくなったことは子ども向けの物語が経済チャンスとしてビッグドリームではなくなっていく現実の過程と一致しているかもしれない。【成長が描かれないのは、経済成長の絵が描けないから】という説。閉塞感からくる絶望的な悲劇を避けようとして、作り手は成長や決着を描くことから逃げてきた。
他には、【成長を描く結末は既に世に出ているので、新規性を考えると選択肢に入らない】説。やっぱ見たことないもの見せたいじゃん、新しさがないと企画にならないじゃん、って。この環境だとマイナーが主流になったときのマイナーチェンジとしてのメジャー展開が普通にありえる手になってくるし、ウケればメジャーな成長物語がまた主流に返り咲いたはずで、時代の傾向として成長が描かれないという感覚にはならない。ちがうんだろう。そんなに単純な小手先の話ではない。
【人間が成長しなくなったから】。上二つの説のハイブリッドで経済面と新しさの問題。レベルカンストだから今の子どもに対して今以上のプラスを提示しにくくなった、現実が逃げたい場所ではなくなった。だって平和が一番。もちろんこれは、今の視点から見れば幻想であることが確定した。東日本大震災や、やはりコロナ禍・元首相暗殺事件・ロシアによるウクライナ侵攻によって。京アニ放火事件も本書の分野をカバーしている大人からすると印象深いだろう。現実世界は平和から遠い。虚構の世界は脆い。あまりにも。ただ2011年まではなんとなくそういう気運があったのかもしれない。「ゼロ年代の子どもって恵まれてるよね/かわいそうだよね」という過去の子どもによる実感。ま、でも、この僕の論は阪神淡路大震災とか地下鉄サリンとか90年代後半の大事件を無視しているので微妙に成立しない気もするが。悲劇による消費者側の絶対的変化が薄まっているとすれば、【子どもの関心が低くなったから】。感受性と言ってもいい。ほとんど情報アクセスの簡便化云々と同じ話だよごめんなさい。子どもは(大人も)様々な世界中の事件のみならずSNSなどで身近な人や社会の普通関わらないに人の個人ニュースに繋がれるようになった。これらの「物語」を味わっているので、あえて子ども向けの物語を鑑賞しなくても満たされている。無関心になっているんじゃなくて、量的な問題としてキャパオーバー、だから劇的な変化に感情や思考のリソースを割けない。
消費者ではなく提供者の側のマターって可能性も同程度にある。うーんこれはそのまま令和の作り手や作品群への非難になってしまうのだけど、現実的な一大悲劇を経験してもなお現行の作品は、おそらく成長を描くようになってはいない(本書でも僕も成長を描かないことが悪だと言ってはいないことに留意されたし)。しっかりと子どもから大人になることを描き切る作品よりは、続きが作れるという意味での希望を持たせた作品が多そうに思う。キャラIPビジネスの隆盛も背景にあるだろうし、懐古主義的な消費者も目立つ。あくまで勝手な肌感覚だけどね。『ポケットモンスター』サトシはワールドチャンピオンになってもポケモンマスターへの旅はまだまだ続きそうだし、令和になってから再アニメ化がいくつあったかわかんないよ。
ただし、近年の大ヒット作で言えば『鬼滅の刃』はきっちりと話を畳んで炭治郎たちを戦いから卒業させた。また、アニメ『鬼滅』に象徴性を感じるのは、深夜アニメでありながら全年齢(以前からあったであろう小学生のマセガキオタクが深夜アニメを観るにとどまらず、現役のベテランや高齢者まで含めた全世代)が楽しんだ点。このことは、本書で指摘があったような、大人が卒業しない状況でありまた子どもに大人とあまり差異がない状況であるということを表すかもしれない。
つまり、「子ども向け」と「大人向け」に差がなくなっている。そういうことかもしれない。あらゆる子ども向けの物語は、元来大人の視線を意識していたが、今般(というか先般)大人の消費者の存在が自明の理となった。【大人も楽しめる物語や大人向けの物語に「子どもから大人への成長」は必要ない】の、だろうか?

仮面ライダー響鬼

こっからは読まなくていいよ。
僕も筆者のひこ・田中先生みたいに作品を分析して成長を描かない物語を探してみたい!『仮面ライダー響鬼』でやってみよう。
ここだけの話、僕はいまだに精神的にも経済的にも自立した大人になれていない。大学3年生の頃、大人になることに悩んだ際に、リアルタイムぶりに『響鬼』を観なおすことにした。
響鬼』は青春成長物語でありながらも視聴者の投影先である主人公の明日夢が戦わないし明確な未来も描かれないので、本書の分類では「成長」を描かない物語なのかもしれない。また、ヒビキたち鬼(この世界での仮面ライダー)は「職業ライダー」だ。企業には所属していないが魔化魍(怪獣・怪人)を解決する人々の集団である猛士の一部として動いている。鬼は全員、個性的でありつつも一貫して魔化魍を鎮めることに集中していて、他の平成仮面ライダーとちがいライダーバトルが無い(鬼の道を外れた者との戦いという形でのライダーバトルは存在するが)。レギュラーメンバーがめっちゃまともであることは異色だ。鬼が大人として安定しているということであり、『響鬼』は「子ども」と「大人」が分節された世界だと言える。

響鬼』の子ども

大人との境界にいる明日夢、あきら、(トドロキ)、京介は大人の鬼の背中を見ながら自分と向き合い、道を決める。トドロキは能力や年齢的には完全に大人で、再起と師からの独立を果たすことで自立するので子ども役でもある。ある意味でトドロキこそが「成長」が描かれたキャラクターだ。明日夢たち他の子どもは道を決めることを成し遂げたものの、その先どうなるか自分の物語を閉じていないので、たしかに「成長」ではないかも。

響鬼』の大人

主人公を明日夢ではなく(後半影薄くなるもん)、響鬼=ヒビキ=日高仁志と見るとどうなのだろう。ヒビキは師匠なしで鬼になり活躍できているスペシャルな人材で、主役を張るキャラクターに足る要素としてはこの特別性が大きい(人格的にも優れているが、第二例がイブキとなりヒビキと性格の良さや少しずれているところがキャラ被りしている)。師匠がいないために、明日夢のような準弟子が現れると、師弟関係に手こずるようになる。ヒビキは明日夢にアドバイスしたり人間として友情を深めることはするが、師匠としての能力や経験値だけは乏しい。そんなヒビキが明日夢を「少年」と呼ぶことは「子ども」だという宣告にも聞こえる。一種の突き放しに近い。鬼とは職業なので、自己決定・自己研鑽を経た明確な「大人」。そのため、自己を規定できない(師匠離れできない)者には一人前の鬼になることはできない。明日夢自身が鬼向きの思い切りのいい人物ではなくむしろ思い悩む少年らしい少年である以上、ヒビキの突き放しは正しい。弟子入りは鬼になると決めてしまった若者にふさわしく、その意味では消防士だった父という問題の一本槍でできている京介が弟子になり人格的に成長して鬼になることは妥当なモデルケースだ。とにかくヒビキは、師弟関係を基礎とする鬼の世界で異質・未熟であり、弟子を鬼(変身体)にまで育て上げたので、成長が描かれたと言ってしまえる。が、京介のテコ入れありきのもので、主題である明日夢との決着は、鬼にならないが弟子という『剣』の戦いを終わらせない結末に近い。他の平成仮面ライダーと同程度に成長を描ききれていない。

変身の不在

響鬼』の鬼は、「変身!」と叫ばない。どこまでも日常に接した物語として在る。「変身!」の不在は、変身≒成長の不在なのかもしれない。
他の平成仮面ライダーでは、未成熟な仮面ライダーは結構いる。怪人に憑かれて変身する18歳、魔物の力を借りて変身する20歳、2人で1人の仮面ライダーになる年齢不詳の少年、部の仲間と出会って変身する17歳、自分や偉人の魂で変身する18歳、仮面ライダーの力を使って変身する18歳など、1号ライダーに限っても20歳以下の戦士は意外と多く、そして全員が立派に自己を発見し何かを救ってみせた(20歳で姉と同居していた葛葉紘汰を除外したが、これは僕が『鎧武』を好きではないという事実とは関係なく、紘汰さんが精神的に割と自立していることがチームとの関わりによって示されていると感じたため)。彼ら(平成時代の法律上)未成年の主人公は、他者の力を借りて変身する要素が目立つ。変身とは、パワードスーツを着込むだけではなく、自己変革だ。それには他者との関わりが必要になってくる。言い換えれば、別に独力で変身を果たす必要はなく、他者の力を借りながらでも世界や暴力や自身と向き合っていけば自力で救世主になれる可能性が示される。OJTだ。15歳の明日夢にも、そのルート分岐がないわけではなかった(ifのお遊びだが、てれびくん公式のハイパーバトルビデオでは響鬼に変身しディスクアニマルの力を借りて装甲響鬼に変身している)。当初の予定では明日夢はもっと早くに弟子入りし最終的に鬼になる予定もあったという噂もある。正史の鬼にならないという選択も立派な自己決定ではあるが、視聴者の子どもと同じ目線に立つ主人公でありながら視聴者・作り手・世界にそれを許されなかったとすると、変身できる方が成長物語として真っ当ではあると言いたくなる。
なぜ明日夢は鬼に変身できないのか。やっぱりヒビキの師弟関係がそうさせるための完全な形ではなかったことは大きく、悩む主体が明日夢(前半)からヒビキ(路線変更した後半)にシフトしたと捉えられる。ダブル主人公の物語の中で、メイン主人公の簒奪が行われた。前半がウケなかったことによって路線変更を余儀なくされたのなら、この責任は視聴者にある。『響鬼』視聴者(半分くらいは子ども)が、明日夢の成長物語を見守り続けることを良しとしなかった。それが成長を描けない世相・時代性でなかったら何なのだろう。というわけで、『響鬼』は「成長を描かない物語」の好例なのかもしれない。

「少年よ」に見る『響鬼』と大人の問題点

正直に申し上げると、それでも僕は『響鬼』が好きだ。一番好きな仮面ライダー作品ではないが、前半も後半も両方が好きでキャラクターが好きた。成長もしていると思う。最終回以外は全部好きかな、最終回はそれこそ結末を放棄した印象も少しある。
一点だけ裏切られたのは、実は前半のエンディングテーマ「少年よ」。
音楽に疎いので全然知識はないのだがその狭い知見の中で一番好きな作詞家は、藤林聖子だ。平成仮面ライダーが好きだからそう思っているのか、むしろ藤林聖子の詞が良すぎるから仮面ライダーを好きなのか分からない。そのくらい好きだし深みがあり物語に合っている。常に100点を超えてくるのが藤林聖子の書く特撮ソング。「少年よ」も例に漏れず最高。布施明に歌ってもらうとより心に響いて、伸びやかに気持ちを未来へ向かせることができる。
しかしながら。「少年よ」の歌詞は、ヒビキの如く、具体的な個人の悩みに対して具体的にどうすればよいかの指針は無い。そう思う。「透明になったみたい」な感覚の少年に示す対処法が「旅立つのなら晴れた日に胸を張って」「心が震える場所探して」「誰にも出来ないこと見つけ出せ」は大人としておかしい。旅立つかどうかを少年に委ねて、晴れた日が来なければどうする? 旅立たないならどうする? 心震える場所なんて無かったらどうする? 自分にしか出来ないことなんて無かったらどうする?
“それ”が不安だから自分を見失っているのに、大人はいつも子どもの救済を未来に託す。希望的観測が過ぎる。ヒビキもそうなのだ。辛い今をしのぐ気分転換までしか教えてくれない。物語とは具体性だ。受け手にとって正しいか否か、役に立つか否かにかかわらず、絶対的な主人公の成長を描く。そこに受け手の意思は介在しないから、受け手は自分で何かを引き出して成長していく。抽象的・相対的であることは、成長物語としては悪なのだ。

悪しき相対の権化としての平成仮面ライダー

ここでなぜ成長を描かないのかについて、もう一つの説を打ち立てられる。
【受け手の支配率が高くなったから】。支配率というのはサッカーのボール支配率のようなもので、要するに誰が物語を運んでいるかということだ。読者や視聴者の声にちゃんと耳を傾けるほど、作り手の支配率が下がる。その問題点として、船頭多くしてゴールが決まらない。シュートが的外れになるだけでなく、ゴールポストの位置が不定になる。動き続けるゴール、無限のロスタイム延長戦。子ども向けは元来楽しんでくれる子どもたちのためを思って大人たちがつ紡ぐ物語なのだ。それは経済的にもそうで、ジャンルとしてスポンサーやかメディアミックスや関連グッズといった商売に直結して成り立っている。子どもたちのために成長の物語を始めるが、ほかならぬ子どもたちのために他のジャンルよりも物語を支配されやすい。それを何世代も重ねた結果、【構造的な問題として子ども向けこそ成長・卒業などの確定的な結末を描きにくい】側面を持つ。
平成・令和仮面ライダーの醜さを見てほしい。1年間戦い抜いたはずなのに、最後まで成長したはずなのに、夏になれば最終回後の映画が当然のように作られる。最終回と同時にVシネマの番外編が宣伝される。次の年の後輩作品の映画で再集合して元気な顔を見せる。10年か15年か20年すれば、後輩作品か映画か正統続編で活躍する。そして最大の醜さは、その全ての機会で、レギュラーの仮面ライダー誰かが必ず「新フォーム」を得てしまう。必ずだ。この新フォームは、新たな変身、本編以上の変身であるから、1年間の物語の結末=成長が実は不十分であったことを後付けで証明する。これが成長の否定・阻害でなくて何なのか?
なぜここまで悍ましい、子どもの発達に良くなさそうな(笑)ことが罷り通るのだろう。答えは明確で、それがウケてきたから。お客様の喜ぶことをして、実際に喜ばれて、しかも儲かるのだから、その努力を怠る作り手がいたらそれこそ醜い馬鹿だろう。正当な、正のフィードバック・顧客とのコミュニケーションの流れによって、本編の物語をコケにする最低の再登場が繰り返されてきている。東映バンダイは、キャラクターの基本的人権とも言うべき成長・物語を破壊して、仮面ライダーたちを玩具にしている。しかしそうして玩具にされることで、彼らは子どもたちを側でずっと護ることができている。そのカタチはヒーローとして間違っていないのだ。記録媒体や変身アイテム、人形となって記憶に留まり続けることで、子どもはそのヒーローから勇気などを学び取り続けられる。消費者の成長や願いファーストになれば、自然とキャラクターの物語からは成長が嘘にされていく。

僕の説まとめ。「なぜ成長を描かなくなったのか?」

成長が描かれないのは、経済成長の絵が描けないから

成長を描く結末は既に世に出ているので、新規性を考えると選択肢に入らない

人間が成長しなくなったから

子どもの関心が低くなったから

大人も楽しめる物語や大人向けの物語に「子どもから大人への成長」は必要ない

受け手の支配率が高くなったから構造的な問題として子ども向けこそ成長・卒業などの確定的な結末を描きにくい

 

小泉八雲『小泉八雲集』リアルタイム感想その2

小泉八雲上田和夫訳『小泉八雲集』新潮社、1975

進度

1月17日に日本雑記から五本の話を読んだ。本を手放してしまったので続きがしばらく読めない……。

日本雑記

Wikipediaでは『日本雑録』という名前になっている。この表記ゆれはなんでかな、著作名も訳者が付けているのか? Wikipediaを信用する理由もないので日本雑記と覚えておこう。

守られた約束

かなり感銘を受けた。サムライにはこういう切り札があるからわけわかんなくて怖い……。約束のもつ効力をどれだけ重く捉えられるかというのを個人的に強さの指標として置いているので、赤穴宗右衛門も丈部左門も強キャラだなあと思った。死んでも約束を守りたいという心が日本特有なのかというと、そうでもないかもなとも思う。漢文や西洋の伝説で霊体化ワープする漢が出てきても、結構美徳に適うような気がする。最初にサムライをバケモンみたいに表現したけど、ほんとは約束のような自分で決めた何かを実現できることに人間を人間たらしめる性質を感じたりもする。今のところ一番好きな話だなあ。かっこいい。

破られた約束

男同士の「守られた約束」の後に、男女の「破られた約束」という構成がニクい。女の方はきっちり約束を守っているけどね。夫も他の人も、真心で生きているんだけど、心は移ろうものだから約束を破ってしまう。忘れてただ恐ろしさを感じるとしたら、無責任だな。

こういうときに、侍の信義をかけたのに愛を裏切って報いを受ける夫よりも何の咎もない後妻を害して殺してしまう妻の方にクエスチョンが付いて終わる構造、ここにも男心を感じる。おぞましい妖怪に堕ちるのは、男より女の方が似合うんだよな。イザナミの時代から決まっている。

果心居士のはなし

妖術師みたいな存在で、掴みどころがない。妖しいけれど、ビジネスとして仏教を説いたりお酒やお金をもらったりしているだけなので自分でやっていても気持ちがよさそう。絵に魂が宿ると言っていたことと絵の中に消えていったことを合わせると、果心居士はもともと絵の中の人物だったのだろうか。

梅津忠兵衛のはなし

有名な怪談。ラフカディオ・ハーンが作ったのかな? 流石にちがうと思うんだけど。持ったら重くなる妖怪でいうと子泣き爺だなと思って調べてみたら、うぶめがドンピシャでこの話の原型みたいだ。ホラーって、最後どうなっちゃうかも怖いけど、じわりじわり状況が酷くなる過程も怖いね。

漂流

甚助は福寿丸の面々とは違う方に流され、当時の甚助は船員たちのことを道連れにしようとする亡者のように恐ろしく感じるのだけど、意識を取り戻す際にはこの仲間たちが呼び掛けて生かそうとしているように見える。船員たちの魂が助けてくれたとはならず金毘羅さまや小川の地蔵さまの加護のみで完結するところに当時(当時って、万延元年=1860年なのか話が作られた時点なのか八雲が記述した1901年なのか、いつなんだよ)の価値観の独特さを感じる。

 

 

 

『小泉八雲集』リアルタイム感想その1

小泉八雲上田和夫訳『小泉八雲集』新潮社、1975

進度

『影』の「和解」「衝立の乙女」「死骸にまたがる男」「弁天の同情」「鮫人の恩返し」を読んだ。

『影』雑感

小泉八雲が作った話のほかに、日本の物語集や説話集を下地にしたものもあるようで、素養のない僕からすると伊勢物語とか法華験記と内容的にあまり区別が付かない。いや、説話になるとメッセージ性があるので別物だとわかるのだけど、フシギさの具合が再現度高い。強いて言えば江戸時代の話があるので時代感が違うなあというくらいで、小泉八雲の造詣の深さが伺える。

和解

落語とかにもできそうな、人情噺っぽいところもある悲恋の怪談。恐ろしさもあるけれど、妻がけなげに待っていたからこういう展開になったのかなあと少し感動したりもする。

衝立の乙女

ピグマリオンみたいな話。菱川師宣の時代にはこの少女は本当に生きていたのなら、絵の少女は少女自身ではなく絵で、新たに生まれたことになるんだろうか。七生の愛を誓って、衝立は空のまま。なんだか素敵。少女がお酒を受け取るために出てくるって大酒飲みで変じゃんと思ったけど、アニメやマンガのキャラにガチ恋する人には朗報だよね。夢がある。

死骸にまたがる男

ガチホラーで、「和解」と背中合わせの世界線にも感じた。タイトルが怪異の女ではなくまたがる男になることにおもしろみがある。言われたことをやっただけなのに。捨てた女の復習を別の形で引き受ける、ある種の因果応報の物語なのだろうか。

弁天の同情

最後は少しわかりにくく感じた。少女が二人いる状態になりはしないか。文字には書き手の魂が乗り移るということでいいのかな。お話としては、きっと問題なくハッピーエンドなのだろう。恋が叶って良かった。

鮫人の恩返し

俵屋藤太郎というのは、俵藤太のイメージなんだろうか? 童話の浦島太郎のように、純粋な善意で困っている異界の住人を助けたら、見返りがあったというタイプの話。鮫人の涙が宝石になるアイデアも、先例があるだろう。鮫人というキャラクターはオリジナリティを感じた。なぜなのかわからないが伝承や説話においてサメはあまり使われない気がする。折角死を悲しんで流した涙なのに、テンション上がって泣いてくれって頼むのはなんか……物扱いしてる。まあ死ぬほどの恋の病なので気持ちはわかるのだけど。人間に鮫人が乱獲されなくてよかった。

 

 

ただの日記

メリークリスマス。2022年12月24日の日記を書いておくよ。

タイムテーブル

7〜8時

犬が鳴いていた声で目を覚ますが、すんごく眠かったため二度寝。朝の散歩は父が行ってくれるので今日もそうだろうと。

8時15分?

両親に僕と弟が呼ばれて起きる。緊急性がありそうだったので。

一階食堂で犬が痙攣して倒れている。散歩から帰ってきた時までは普通に元気で、ふと見たらこうなっていたらしい。

見守るしかないのだろうが動揺して触りながら声をかける両親、弟。僕もそうしたかったけどなんかスペースが残っていなかったしそれが良いのかがわからなかったのでなんかスマホググる。意識が無い犬に触ると反応して噛んだりする可能性もあるので何もしない方がいいと書いてあったが言えなかった。スマホで動画を撮り続けた。

後脚は伏せの状態で前脚は寝転ぶ時の横向きで伸びきっていた。下半身が弛緩してしまっているようで、何度も糞を出した。3回くらいは。目が開ききってて斜め上を見たまま、閉じた口から少しずつ涎が垂れていた。痙攣は小さいというかほとんど無いくらいなのだが立ち上がろうとするみたいに下半身がきゅっと動いて、それが排泄になってしまっていそうだった。

目がとにかく怖かった。剥製ってやっぱり生き物じゃないんだろうなと感じた。いつものうちの子じゃない、別の個体みたいだった。僕の中では、表情が彼を彼たらしめていたらしい。一度だけ前足を伸ばしたままグイングイン動かし始めたのもかなり恐怖を感じた。歩こうとする動きなのか、脳が指令を出していないから自動的にそういう運動が起こるのか。前脚の動きで片方の後脚も伸びた。それは姿勢が若干安定した感じがしてよかったかもしれない。

この8時半ごろという時間が幸運で、9時から開いているそこそこ近所の動物病院に診てもらうことにした。

毛布でくるんで母(かな?)が抱きかかえると、それで意識が戻った感じがした。動画を見返すと、毛布に包もうと動かされたことで覚醒したようだ。なんとなくいつものあいつの表情になった。まばたきをしたのは車に乗ってからだった。

9時頃

実は僕は動物病院に行くつもりは無かったのだけど、なんか車に乗って犬を乗せるのを撮りつつサポートしていたら車が出発する感じになっていた。いつもの散歩かばんにトイレットペーパーを入れて持っていくつもりだったが忘れた。行くつもりだった他の三名(父母弟)も含め全員上着を着忘れた。僕は靴下も履いていなかった。

動物病院は既に満車に近かった。のに急患ということでかなり早く診てもらえた。血液検査とレントゲンと点滴をしてもらった。僕はほとんど車の中にいたので、検査結果を踏まえての診察は聞いていない。一人で車でぼーっとしていた。

10時半頃に様子を見に行くと検査後の犬は母に抱えられていて、結果待ちと診察待ちだった。会計にもどうしても時間がかかってしまうので、車が帰路についたのは11時を過ぎていたと思う。

車内での犬は、基本的に車移動を怖がってぴーぴー鳴き続ける。風景も見えないしGに揺られるから無理もない。今日はもうそんな元気もないのでおとなしい。帰りは、点滴のおかげか少しは元気になって、座席の上に寝かせていたら立ち上がった。怖がる元気が出たようなので一安心。

12時半頃

昼食を摂った。11時半くらいに帰宅すると、犬は割と元気にぐったりしていたので、ご飯を炊いて、昨日のすき焼きの残りを食べた。おいしいねやっぱり。なんとなく不謹慎っていうか忌々しい気もしたが、安心があったので結構弟とふざけながら食べた。

13時〜16時

昼食を終えて、本来の今日の予定であった自宅練習用のゴルフネットを組み立てた。僕と弟には何らメリットのない道具なのでごねつつの作業であった。開封したらパーツに番号が振られていて、説明書の小さい文字さえ読めれば作りやすくてよかっま。

まず、庭の設置予定地が地下茎やらぶっとい根っこやらででこぼこの状態だったためスコップで掘り起こして抜く作業が必要になった。これだけで15時くらいまでかかったんじゃないか。母が除草剤を買ってくるのを待ってから、撒いて除草シートを敷いて、やっと地面が整った。

パーツを説明書通りの場所に大まかに置いて、組み立てた。ちっちぇえなと思ったらまだパーツを足すことになっていて、完成形では3mくらいの高さになった。

この間、犬はおとなしかった。疲労もあったのだろう。外に出たがったので弟が出してみると、サンデッキに出てすぐおしっこをした。実は部屋の中のランダムな場所でいきなり出してしまうのが常態化していたので、犬は大層褒められた。

17時

まだ終わっていなかったと思う。追加で的のシートも買ってあって、それを取り付けるためのひもを父が買ってくるのを待った。ふざけんなよ?早く終わらせたいのに休憩なのかそうでないのかよくわからん時間を過ごしてマジで一日拘束される。ひもはパッケージにあったもやい結びという結び方を習得させられて、それで括り付けた。僕がもやい結びを学ぶ間、弟はグラブルをやっていた。

やっと完成したゴルフネットは、大きいのでそれなりの達成感を得られた。使わないし、今日という日はもっと重大だったような気もするのだけど。

そのまま犬の散歩に行こうとした。が、家の敷地内でおしっこをして、家の門を出てすぐにUターンして家に入ろうとしたので実質散歩はなかった。家の外でおしっこしてくれただけ偉い。おやつを三種類くらいあげた。僕はそっけないし愛情をそんなに注いでないけど、二人きりでやり取りする時は結構あいつに甘いのだ。

19時

母が作ってくれた夕食を摂った。人生で初めて参鶏湯を食べた。サムゲタン。鶏肉の丸ごとをなんか鍋で煮ていた。鶏がらスープなので優しめの味で美味しかった。クリスマスのチキン料理で韓国料理かよとは思った。思ったしもっとやんわりとした表現で発言したと思う。馴染みがないもん。オイシックスという食材宅配サービスをしばしば利用しているのだが、はっきり言ってあまり好みではない。本物かどうかよくわからん異国情緒を家庭に持ち込むなよ?おもしろいもんだね、母とか、誰かが作ってくれた料理だと思うと文句なんて言う気にならないけど、メニューを顔の見えない誰かが考案しているという前提が入ると食わんことはないが気に食わんところが見えてしまう。

申し訳ない。今日は気が立っているんだ。流石に緊張したから。

犬は父の椅子の下で寝てしまっていた。

21時頃

部屋でパソコンを触っていたら弟が犬に餌をやったか声をかけてきた。おやつとは別の餌があって、犬はおやつ最優先でご飯をあまり食べない。なので手で掬って差し出したりしてみると大抵食べる。甘えているのだ。そうやって少量ずつ食べると咀嚼がほとんどないのでよくないと思いつつ、やっぱり手から食べるとかわいい。で今日も朝の分の餌を残していて、点滴もしていたのでその残りを完食させて夕食分は追加しなかった。その今日の食事事情を弟は僕に尋ねたのだ。

夜の散歩の様子は聞いていないが、悪くはなかったんだと思う。今日は朝に糞を全部出してしまっているし、すぐ帰ってきたかも。

22時頃

お風呂に入ろうと一階に降りた。

犬が歩き回っている。元気になってよかった。いや、そうじゃない。ひたすら歩き続けているらしい。これ、徘徊だ。

声をかけても、移動し続けるのをやめない。なんだか痛々しくてやめてほしかったが、無理に抱こうとすると嫌がるし目的があるわけではないので止まる理由もない。ちょっと泣きそうになった。ここでも表情がどことなく別個体みたいだった。心ここに在らずという感じで。

みかんを食べるとき、必ず犬が寄ってきて二房くらいあげる。ダメ元で食べてみたらちゃんと寄ってきた。なんとなく欲しがる表情が子犬のようでまたあいつじゃないような不安感があったが食べた後、思い出したように布団(犬用の丸いベッド)に丸まって、以前から脚が良くないので結構はみ出して眠そうにし始めた。普段なら日中は眠りこけているところを起き続けていたし、体力の限界なのだ。すごく眠そうに目を閉じかけの状態でこっちを見るので頭を撫でると徐々に目が閉じていく。けれど頭を床に付けずに浮かせたままウトウトして、完全な寝る体勢になかなか入らなかった。これも初めて見る表情。点滴に眠くなる成分が入っているらしいので、そのせいかもしれない。寝かしつけたら24時くらいで、父が風呂から上がってきて、また起きた。

24時過ぎ

犬は、夜間は玄関のケージの中にある犬用ベッドで寝ることになっている。廊下に出して、眠ってくれたらよかったのだが、また徘徊が始まった。何度も何度も、少なくとも20周はリビングのドア、廊下、玄関の段、玄関のドア、を巡る。声をかけてもだめなのだ。それがなんとも悲しい。僕らがそこにいることは認識していて障害物としてちゃんと避けるのだけど、声をかけて寝るように促しても止まらない。両親が寝てしまってからもしばらく、徘徊する犬を目で追いながら一人ショックを噛み締めていた。玄関の段は犬の身長くらいあって、脚がよくなくなってからは段差に四角いクッションを置いて階段状にしているのだが、それのないところを降りて玄関に行こうとしてしまうので危ない。見かねてクッションをずらして対処した。不思議と俳諧のコースが決まっていて、降りる箇所が固定なのでそれでひとまず怪我を防げたかなと思っていたら玄関に降りる直前、段差の目前でおしっこをしてしまった。1ヶ月ほど前、フローリングでは犬がうまく踏ん張れないということで床に正方形のカーペットを敷き詰めた。これにより割としっかりと犬は歩けるのだがおしっこをされた場合その部分のカーペットを取り除き代わりに何かを敷けば対処できる。今回は、カーペットを取り払って、ただトイレシートを敷くだけにした。おしっこを漏らした犬は、徐々に徘徊の範囲を狭めて、ケージの中のベッドに寝転んでくれた。みかんの時と一緒で、何らかの日常的な刺激によって自我を取り戻すのかもしれない。毛布をかけて、撫でようとしたら今度はすぐに寝息を立てて首を床に接地してくれたため、僕も自室で睡眠に入ることができた。

が、当然寝付けるはずもなく、布団の中で1時間くらいかけて今日のことをこうやってまとめている。

暖房を消してドアを開けた。ベッドで寝ている向きをいつもと反対にして頭がドアに近くなるようにした。犬が声を出したり何らかの音が発せられたら気付きやすいように。気休めでしかない。無力だ。

たぶん認知症なんだろうな。どうしようもないような気がする。お風呂に入ったときに、曽祖母のお見舞いに行った記憶をふと思い出した。僕が小学3年生くらいのときだっただろうか。曽祖母の末期は、ボケが入っているのか孫である父をあまりわかっていない風で僕らひ孫は言わずもがな。という日もあれば、最後にお見舞いに行ったときはかなりはっきりわかってくれたような気がする。どの時かわかんないけど、曽祖母が僕らの手の甲に口づけをしたことがあった。まあ80は超えているおばあさんなのであんまり嬉しくない。嬉しくはないけど、当然拭うことはせず、なんとなくそのままの手の甲を持ち帰って、家では普通に何の感慨もなく手を洗ったような覚えがある。老衰への漠然とした割り切れなさ、忘れがたさを経験したような気がする。

ああいやだなあ。こうして吐き出せたので、ようやっと眠くなることができた。犬の様子を一瞬確認して、寝ようと思う。

恩田陸『Q&A』リアルタイム感想11

恩田陸『Q&A』幻冬舎、2004

進度

最後の章を読んだ。のはかなり前で一週間以上ほったらかしにしてしまった。気分的に。

回答者

心のサロンの人の娘。無傷で生き残った少女。学校に通っているような年齢になった。

いや〜、この宗教の話をエンディングまで見せられると思わなかったなあ。傍から見れば、完全に監禁、虐待。現代日本で起こると思いたくないけど、何か決定的なきっかけがあればこんな人生を歩む人もいるかも。ていうか今、いるのかも。

質問者

訪問者。少女よりもすこし年上の少女。

うーんネタバレに配慮せずに書いてきたけど、今回は特に何言ってもネタバレになるなあ。

結論、少女に特殊能力はあった。しかし生き残ったのも、その後の生活も、特別じゃないし神聖じゃないからくりがそうさせている。比べるものじゃないけど、ある意味で彼女はあの日Mにいたことで最も不幸になった人の一人なんだろう。不幸にしたって、事件を機に環境が変えられてしまう、認識が変わってしまう点において他の人々と何ら変わらない、凡庸な犠牲者にすぎない。

全体の感想

全体のオチであることを踏まえると、この「つまらなさ」はすごい。あの墓石のようなMの中に入っていたものを頑張って追ってきたけれど、どこまでもがらんどうな、ただ動物が集団/個体として反応を見せただけの話に思えてくる。やりきれない、割り切れない。何度か予想された犯人である、大きなものが知らぬ間にやってしまったんじゃないかとか、政府が意図的に仕組んだんじゃないかとか、もうそういう大きな存在も賢い支配者もいないような気がしてくる。

人は信じたいものを信じるのよね、過去や未来から何か警告があってもあんまり変わらない。うら寂しいさもしさとか、現実や自分自身と向き合う切実さとか、執筆当時のリアルな今が籠っている。Q&A形式の会話劇は生の声を届ける意図なのかも。どの人も台詞にキャラクターが滲み出ていて、傑作だと思うなあ。

 

 

 

M-1決勝戦2023予想

どうもド素人です。

ただいま(記事書き始めた時点)、敗者復活戦が始まった。

今年も決勝戦が来たのであんまり意味ないんだけど予想するぜ。僕の今年のM-1は、1回戦ベスト3をたぶん全部観て、3回戦全ネタは大阪と京都プラス決勝進出者しか観てなくて、準々決勝敗退ネタは全部観た感じ。いや無料で観れる分しか観てないじゃん……。個人的にはやっぱり準決勝のおもしろさだけで決勝予想しちゃうのが一番当てやすそうな気がするが、観てきた記憶で予想しよう。

今年も、礼二富澤塙の得点が高いことが大事だと思う。と言いたいけどわかんね。僕そう言いながらデータちゃんと見てないのよ。

 

敗者復活戦

オズワルドかビスケットブラザーズかなと思いつつ、今年はからし蓮根、マユリカに決勝行っていただきたい。まあ投票は今から観るネタのおもしろさで決める。

敗者復活観てる感想をリアルタイムで書きたいんだけど陣内智則安定してるな、安定して最強におもしろくはないな。ノンスタ石田が決勝審査員やってみてほしかったな。コウテイ来年決勝で観れたらめちゃくちゃ笑ってしまいそう。

ごめん観る前だけど暫定オズワルドで想定。オズワルドに勝てる組が優勝に近いはず。

 

真空ジェシカ

去年、決勝審査員(と会場)に対してむずかしかニッチさの面で若干相性が悪そうだった。けどこの1年売れつつ何も変えずに貫いている気がする。素晴らしいよなあ!?

この人たちは日和らずにめちゃくちゃおもしろいことをやって、決勝2本目行くのはむずそう。

 

ダイヤモンド

個人的に決勝進出を一番驚いたし嬉しかったかもしれない。シュールだけどなんとなーく、今年は感情を乗せる?出す?のも上手い印象を受けた。

今年多くの決勝進出者に言えると思うんだけど、テンポがゆっくりめなのでネタ中のいつ観客を乗せるかが勝負の決め手になりそう。早くマッチすると強い。

 

ヨネダ2000

ぶっちゃけ去年の敗者復活で知った。それまで知らなかったし芸歴もたしか2、3年だよな。あんまり関係ない。めちゃくちゃな世界観を展開してくるけど、結構すごいレベルで「わかりやすい」んだよな。絵が想像しやすい、声と話し方が聴きやすい。ビジュアルと聞き心地の配慮が完璧な意味不明の世界という感じ。期待。

相性で言っても、実際今年有利な気がする。インパクトの伝わりやすさという面で。

 

さや香

名前は知ってたってレベルなので正直詳しくない。準々辺りまでは常連だよねたぶん。ぶっちゃけからあげが一番印象強い。

声張るネタ多いように思うので、ヒートアップしていけば高得点ある。意外としゃべくりスタイルというか、こう、上のヨネダ2000みないな架空のより現実のものに着目して現実の会話風のままおもしろくできる人たちだと思うんだよな。いや今日そうかは全然わからないんだけど。いいと思う。

 

カベポスター

カベポスターも詳しくない。名前は知ってた。さりげなくボケる感じが聞いてて気持ちいいんだよなあなんか。ネタの内容も、身近なことから始まるけど割としっかり裏切りがある印象。

たしかにお前の言うとおり、強いし楽しいわ。

 

キュウ

堂に入ったシュールさで、言葉遊び大会と捉えると優勝級におもしろい。インパクトもあって、最初から変なことやって徐々にその遊びに参加していけるスタイルなので尻上がりにおもしろいのが強い。

 

ウエストランド

最近はワンマンではなくなった感じがして、前に決勝出た時よりも確実にいいコンビだと思う。僕は好き。でももしかしたら片方だけめちゃくちゃ頑張るのもわかりやすくてよかったかもしれない。

 

男性ブランコ

コントのイメージがあるけど、両方がキャラ立ちするレベルで演技力高いから喋りとか漫才コントもおもしろい。安定して最初から入りやすいしちゃんと後の方に爆発もする、知名度も得たと思うので、強そう。

 

ロングコートダディ

コントのイメージ強いかな? 常人じゃできないレベルのおもしろい会話をしてるんだけど、雰囲気は中高生っぽいっていうかなんか仲間になれそうな感じなのがすごい。知名度的なことで言うとなんか決勝2本目やる条件は揃ったような気がする。

 

敗者復活

書いてる間に全ネタ聞いてしまった。僕の感覚でおもしろかったトップ3は令和ロマン、ビスケットブラザーズマユリカシンクロニシティ。令和ロマン以外が全部同じ点数になっちゃった。好みで前から3組に投票。上がってくるのはオズワルドかな?

オズワルドは、去年の1本目がマジで優勝格のおもしろさで、2本目で萎んだように感じちゃった。売れてることがプラスなのかマイナスなのか難しいね、どうなんだろう。

 

順位予想

上から

ヨネダ2000

男性ブランコ

(敗者復活(オズワルド))

ウエストランド

(敗者復活(令和ロマン))

真空ジェシカ

カベポスター

ロングコートダディ

キュウ

さや香

ダイヤモンド

 

あのーマジでただの感覚で、脳内でM-1決勝やったらこうかなってなっただけ。で、必ず外れる。審査員が2人も変わってて、僕は山田邦子も博多大吉も全くトレースできないから。この人たちがシュールな言葉遊び系に点入れてくれるならかなり変わってきそう。巨人師匠もえみちゃんもどちらかというと厳しいイメージ(あくまでイメージ)だったから。

優勝ヨネダ2000とのことなんだけど、うーん勢いを現場で出せちゃうのは誰かなあという視点で。なんとなく似た印象の組が多いので、絶対にライバルに似てないっていうのは十分勝負に作用すると思うの。男性ブランコはシュールとか静かとか遅めとかそういう評を軸にしたときに、バランスがいい。常人が適応しやすいひねくれ方とぶっ飛び方だと感じるから。あとは敗者復活で上がると勢いが出るので2本目やれるバフはかかると思う。決勝経験者はやっぱり順位高めにした。おもしろいから仕方ない。ロングコートダディは今日に向けて力を溜めてたら跳ねるはずだけど必ずしもファーストコンタクトと同じ爆発力が出るとは思わないので低めにした。全然違うネタやると思うけどな。今回ほんとに確信が無いな。厳しい。どうせ出番順でどうにでも変わっちゃうしなあ。楽しみだね。