小泉八雲『小泉八雲集』リアルタイム感想その2

小泉八雲上田和夫訳『小泉八雲集』新潮社、1975

進度

1月17日に日本雑記から五本の話を読んだ。本を手放してしまったので続きがしばらく読めない……。

日本雑記

Wikipediaでは『日本雑録』という名前になっている。この表記ゆれはなんでかな、著作名も訳者が付けているのか? Wikipediaを信用する理由もないので日本雑記と覚えておこう。

守られた約束

かなり感銘を受けた。サムライにはこういう切り札があるからわけわかんなくて怖い……。約束のもつ効力をどれだけ重く捉えられるかというのを個人的に強さの指標として置いているので、赤穴宗右衛門も丈部左門も強キャラだなあと思った。死んでも約束を守りたいという心が日本特有なのかというと、そうでもないかもなとも思う。漢文や西洋の伝説で霊体化ワープする漢が出てきても、結構美徳に適うような気がする。最初にサムライをバケモンみたいに表現したけど、ほんとは約束のような自分で決めた何かを実現できることに人間を人間たらしめる性質を感じたりもする。今のところ一番好きな話だなあ。かっこいい。

破られた約束

男同士の「守られた約束」の後に、男女の「破られた約束」という構成がニクい。女の方はきっちり約束を守っているけどね。夫も他の人も、真心で生きているんだけど、心は移ろうものだから約束を破ってしまう。忘れてただ恐ろしさを感じるとしたら、無責任だな。

こういうときに、侍の信義をかけたのに愛を裏切って報いを受ける夫よりも何の咎もない後妻を害して殺してしまう妻の方にクエスチョンが付いて終わる構造、ここにも男心を感じる。おぞましい妖怪に堕ちるのは、男より女の方が似合うんだよな。イザナミの時代から決まっている。

果心居士のはなし

妖術師みたいな存在で、掴みどころがない。妖しいけれど、ビジネスとして仏教を説いたりお酒やお金をもらったりしているだけなので自分でやっていても気持ちがよさそう。絵に魂が宿ると言っていたことと絵の中に消えていったことを合わせると、果心居士はもともと絵の中の人物だったのだろうか。

梅津忠兵衛のはなし

有名な怪談。ラフカディオ・ハーンが作ったのかな? 流石にちがうと思うんだけど。持ったら重くなる妖怪でいうと子泣き爺だなと思って調べてみたら、うぶめがドンピシャでこの話の原型みたいだ。ホラーって、最後どうなっちゃうかも怖いけど、じわりじわり状況が酷くなる過程も怖いね。

漂流

甚助は福寿丸の面々とは違う方に流され、当時の甚助は船員たちのことを道連れにしようとする亡者のように恐ろしく感じるのだけど、意識を取り戻す際にはこの仲間たちが呼び掛けて生かそうとしているように見える。船員たちの魂が助けてくれたとはならず金毘羅さまや小川の地蔵さまの加護のみで完結するところに当時(当時って、万延元年=1860年なのか話が作られた時点なのか八雲が記述した1901年なのか、いつなんだよ)の価値観の独特さを感じる。