リアルタイム感想銀河鉄道の夜
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
独特の語彙は自分がばかなのかと思ったら大体オリジナル
三角標というのがググってもよくわからないけどその地点に建ててあるしるしのような何かで、銀河鉄道の野原は宇宙の真空なんだろうからたぶん星のことなのだろうか。
ケンタウル祭もググった。ケンタウルスは射手座かなと思ったが宮沢賢治の造語らしい。
ジョバンニ
ジョバンニは「何かを言うことができない主人公」という感じがした。
先生にもいじめてくる同級生にも、鳥を捕る人にもかおる子という女の子にも、にも言葉が出なかったり声をかけられなかったりで気まずい描写があった。旅から帰還してカムパネルラのお父さんにもそうだし、カムパネルラにも想いは届かずに別離する。
ほんとうの幸はなんなのか、答えも出せず汽車に乗せられて景色を眺める。さびしい。
家庭環境も、父は捕まっていて母は病に臥していて。親友はいじめてくる相手を助けていなくなってしまったし、これからジョバンニは何ができるんだろうと辛くなる。ジョバンニが序盤に(駄洒落も慰めにならない)観測しているものたちが銀河鉄道の旅で登場しているのも、綺麗で見事な構成という前にやりきれなくなる。運命に囚われていて、ただの夢だったみたいじゃないか。
銀河鉄道の夜は夢か
夢だったみたいじゃないかと言っているのは、夢ではないような気もするからだ。草原で目が覚めれば旅は嘘のように消えてしまったような感じがするけれど、逆なんだよな。
銀河鉄道に乗らなければ、ジョバンニは草原で一人さびしくいるうちにカムパネルラをただ失う。二人の最後は、らっこの上着と馬鹿にされ言い返せずに去るジョバンニと守れずに心配して見るだけのカムパネルラ、というシーンだった。それは現実で変えられない運命なのだが、銀河鉄道に乗って、二人は美しいものを見て会話を交わした。
汽車の中でもジョバンニは不機嫌になってカムパネルラにぶっきらぼうな受け答えをしたりもするけれど、最終的に二人して喜んでいるし旅人との別れを悲しんでいる。ジョバンニの切符は「どこまででも行ける」。そういう捉え方を、できるなあ。
読んでいなかった言い訳
読んだけど、内容忘れちゃった。読み返したけど、途中で読むの忘れちゃった。僕にとっても夢のような小説なのでした。たぶん縁のない部類に入る作品だったので、このたび縁を引き寄せた。