『デジモンフロンティア』感想序論

デジモンフロンティア』観始めました

前回記事を読んでいただいてしまった方はご存知だと思われるが、現在苦しんでいる。僕が、というよりは、いち人間として苦しむべき時だから苦しめられてしまっている。逆境だ。
自分が揺らいで消えてしまいそうなとき、どうしたらいいんだろう。僕は、幼い頃に好きだったものと対話することで助けてもらってきた。
前回書いたかな、忘れたけど、和田光司が生きていたら何を言うかが怖い。逆に、いてくれたら、また平和の歌を歌ってくれたろうなあとも思ってしまう。しかし「泣いたって笑ったって変わらないことがある」「これから先に立ち向かう勇気はすでにもらったさ」「僕たちが新しい風を起こそう」。
ということで、大好きだった『デジモンフロンティア』をアマゾンプライムで観直しはじめた。感想をアウトプットして、立ち直りたい。
第1クールまで視聴したので今回はそこの感想を述べたかったのだが、作品自体について話したいことがたくさん出てきてしまったので、今回は序論とする。
以下、作品名、曲名は『』で表記する。作品名に関しては略称を用いるので頭にデジモンが付いていると思ってほしい。『テイマーズ』=『デジモンテイマーズ』など。
『フロンティア』1話https://www.youtube.com/watch?v=d4M9Jhcsz1s
誰に向けての内容なのかよくわからないので、時間がありデジモンに興味のある方以外で僕に興味のある方(奇特なひと……)は一気にP.S.まで飛んでいただいた方がよいと思う。でもデジモンミュージックについては書いていて特に楽しかったので読んでほしい。

未踏域を拓く『フロンティア』

デジモンには「世代」という進化段階が存在する。
基本的に、幼年期1、幼年期2、成長期、成熟期、完全体、究極体と進化していく。ポケモン(カードゲーム)にはベビィ、たね、1進化2、進化のような呼び方があるらしいが、デジモンの進化は段階数では表せないことがある。究極体から究極体に進化することや究極体と究極体がジョグレス進化(合体進化)して究極体になること、究極体から究極体にモードチェンジすることなどなどなどがあり、究極体に終極はないのかもしれない。例外がありふれるコンテンツ、それがデジモンだと言っていいのではないか。当然、進化するごとに強くなっていく(あくまで概説に留めたい。同一個体の成熟期の姿と完全体の姿では究極体の方が強いという意であり、成熟期では別のデジモンの完全体に勝てないかとか何体集まれば勝てるかとかは時と場合によりすぎる)。
しかし、「人間の主人公達がデジモンに進化する」『フロンティア』においては、ハイブリット体という世代の曖昧な形態が新登場し、主に活躍する。13話までで既に、複数の成長期、成熟期1体、究極体1体(に対してハイブリット体4体)と戦闘を行う。かなり世代の概念を超えた存在で、強さ議論的パワーバランスを混乱させる。4話にて成長期のマッシュモン3体が合体して成熟期のウッドモン1体になるなど、『フロンティア』は旧来の進化観を壊す作品にも見られたのかもしれない。

作品のつくりとしても、変身ヒーロー的な部分がある。前作『テイマーズ』は、他の個体を倒(殺)してロードする生命のルールを持つ異物=デジモンが現実世界に出現し、コンテンツとしてのデジモンを好んでいる子どもたちはパートナーとして関係を育んでいく。この血生臭い/血の通った両者の共生関係は、「デ・リーパー」という無機質でただ破壊的なデジモン・世界消去プログラムを打破する戦いへと集約していく(他力≧自力での自他救済)。『テイマーズ』のちょっとバイオレンスなナイーブさなど、個人的にはアニメ『デジモン』らしさここに極まれりと感じ入るが、『フロンティア』はもっとずっとわかりやすさを優先する。ゲームと称して集められた子どもたちが巨悪を倒すための旅の道中で悪を浄化する(自力での他者救済)という、勧善懲悪のお話だ。『テイマーズ』は現実世界、『フロンティア』はデジタルワールドを主な舞台にするので、対比で理解しやすいと感じる。人間の子どもたちが一時的にデジモンへと進化して戦うことは、デジモンの設定上の枠組みや世界観以上に、『デジモン』アニメの根幹に関わるのだ。現在放送中の『ゴーストゲーム』に至るまで、歴代の『デジモン』では主人公の子どもと魂の伴侶たるパートナーデジモンとのパートナーシップが非常に重視されているため、パートナーを持たない子どもたちの物語であるという点は他シリーズと比較する上で重大だ。
短く言えば、異色作なのだ。

家なき子の癒えとしての冒険譚

とはいえである。『フロンティア』は『デジモン』の正統だと僕は思う。
デジモン』に限らず、物語は「成長」「変化」が肝である。特に『デジモン』は、必ずと言っていいほど、主人公の誰か複数がコンプレックスを抱いていて、彼彼女なりの戦いを通して「進化」し克服する物語である。これこそが最重要の伝統だと感じるから、デジモンが登場し人物が成長すれば『フロンティア』も正しく『デジモン』だと言える。『デジモン』主人公たちのコンプレックスには家庭に関するものが多く、『フロンティア』も例に漏れない。

ちょっとだけにするから、主人公を見てみようね。
神原拓也。火の闘士アグニモン等に進化。小5。ゴマモン。1話は弟の誕生日。母親ははっきり言って弟の方に愛情を注いでおり、つまらない気持ちになったところで携帯電話にゲームの誘いが表示される。兄でありサッカーをやっているためかリーダーシップを取り仲間を助ける優秀さと率先して戦う勇敢さを発揮するが、サッカーでは個人プレーばっかりだったと自身の問題点をこぼす。キャップを逆さに被りゴーグルを着けるが、この要素は多くのデジモン主人公が持ち、4作連続。ついでに名前が「タ」から始まる主人公も多い。サッカー、兄、ゴーグルなど八神太一と共通項がある。
源輝二。光の闘士ヴォルフモン等に進化。小5。当初、他の4人とは別行動を取る。人間の状態でも棒術で幼年期2のデジモンに対抗できるなど高い身体能力を見せる。ぶっきらぼうで反感を買いやすい。意外といいやつという点が強調されている。単独行動時通りすがりに出会った拘束されているデジモンたち(デジタルワールドはケルビモンの影響で治安が悪い)を救出してやろうとして悪側の十闘士グロットモンに(人間のまま)接敵し、100mほど(人間のまま)落下する描写が象徴的。第1クール時点では明かされないが、現在の母は実父の再婚相手で、生き別れの双子の兄がいる。輝二という名前が示唆するように、兄は輝一。両親が離婚して兄弟が離ればなれ、クール担当など、石田ヤマトと共通項がある。
織本泉。風の闘士フェアリモンに進化。小5。現実世界では、帰国子女で自立しているせいで周囲に溶け込めない。と言っても子どもたちの中で協調性は高い方。紅一点であるためか若干お色気的場面があるが、男子陣にすけべ心があまりないので、泉が咄嗟に抱き着いて我に返ってから照れて殴るなど男子側の不幸ギャグとして描写される。そういう意味でも精神年齢が高めなのかもしれない。武之内空そっくりな優しい声質で、かと思えば井ノ上京のビンゴ! 的な独特の掛け声(イタリア語)とノリのよさを持っている。帰国子女という点は『02』での太刀川ミミと共通項がある。
柴山純平。雷の闘士ブリッツモンに進化。小6。純粋ゆえの対抗心や自分なりの解決法、都合の良さが見える。具体的には、異世界の住人であるデジモンに対して、チョコをあげるから道を教えてくれ、他のデジモンと仲良くしてやってくれ、等。根本的解決ではないので失敗してしまう。現実では性格に結びつかない要素ではあるが、一人っ子、少し肥満型という点は象徴的。5人の中で最後に初進化を果たし第1クール時点では他の仲間に付いていく展開が多かった。小5から呼び捨てにされるし、なんとなく責任感や頼りがいがなさそう。年上であるが初期は頼られない点は城戸丈と共通項。ただ性格的には反対に近い。
氷見友樹。氷の闘士チャックモンに進化。小3。いじめっ子によって無理矢理デジタルワールドへ向かう列車に乗せられたため、現実世界に帰りたい気持ちといじめっ子を許さない懲悪願望を持って旅をスタートする。第1クールでは母の姿が登場しちゃんと(?)愛されていると見られる。まだ明かされていないが歳の離れた兄がいる。ヒーロー願望や不安感、おもちゃで遊び始めるとなかなかやめられない点は幼さの描写でもあるが、小5×3、小6×1という高めの年齢と自立心で構成されるパーティでは「年少者にどう接するか」という重要な試金石になっている。弱点がわかりやすい分成長も表れやすく、暴走するヴリトラモン(拓也)に呼びかけて正気に戻した。成長泣き虫の最年少という点は高石タケルと共通。
特に好きなキャラを強いて挙げるなら、輝二、泉、純平。どうだ3人も挙げるなんて思わなかっただろ。属性が決まっていることもあってか、各人の問題点、目的は分かりやすく色分けされていて、どういった境遇の視聴者でもある程度共感できる主人公を見つけられるのが『デジモン』の素晴らしい点だと感じる。デジタルワールドはキミを待っている。

進化するのに使用する「デジヴァイス」は、所持していた携帯電話が変化したもの。ゲームの誘いも携帯電話に届いた。デバイス異世界との懸け橋となることには自分の身にも起こりそうな現実との近さを感じられ、ドキドキする。しかしここで既にかなりの歪さも示唆されていて、見事。拓也は(おそらく全員)、携帯に届いたメッセージにYESを押してゲームに参加する意志を示し、「自由が丘駅17:45発渋谷行きに乗って下さい」というイタズラなチェーンメールとしか思えない指示を受け取る。この電車に乗れた者がデジタルワールドへ送られた。放映当時の2002年が舞台だとすると、その時代に携帯電話を持っていて18時近くに自由が丘駅の地下鉄に乗れる小学生って……中高生になれば深夜にコンビニや新宿駅周辺の路上にいそうな、家に帰りたくないか帰れない子だと思う。
つまり、5人(6人)の主人公には、旅に出るに足る燻り・逆境・孤独があった。自立していて当然なのだ、これまでの主人公たちよりも孤独なのだから。これまでの3作と異なり、子どもたちの中に学校が同じ、名前だけでも知っている、のような縁故が一切ないことなど象徴的だ。ここまでくると、初の(唯一の)パートナーを持たない子どもたちという特徴にも、意義が見えてくる気がする。彼らは孤独だ。そのこと自体が問題で、そのこと自体が自分を世界を救う力を備えている主人公であることを示す。彼らは、YESをただ押しただけでありながらも、自分で戦って切り抜いて、出逢いとサヨナラを道標にゴミ箱を飛び越える。

法則なんて発明すりゃイイんだろ? ハイブリット体は美しい

『フロンティア』の異色さを説明するために既に触れた通り、デジモンの最重要要素に「進化」が挙げられる。
定義がさまざまだが概して、大概にせえよというくらい概して、人間の世界の概念をデジタルな世界やネットの世界が学習して生まれたのが、デジタルモンスターという存在だ。ゆえにと言うべきか、されどと言うべきか、デジモンは個体ごとに「誕生」「(自己)進化」「死」を備える。デジタマという卵から孵り、一世代で進化し、デジタマに還るかデータに還る(消滅)。この自己進化する点がコンセプトを冴えさせる。前述の進化段階「幼年期1、幼年期2……」は世代という。同一個体なのに。と言ってもポケモン以後のコンテンツなので、新鮮味はそんなにない。デジモンの「進化」は生物の進化evolutionと異なるので、英語では「digivolution」と呼ぶらしい。デジモンは海外の方が熱量がありそうで、ファンメイドのデジモンwikiがわかりやすいのでURLを貼っておく。https://digimon.fandom.com/wiki/Digivolution

『フロンティア』に話を戻そう。
主人公のうち、輝二、拓也は第1クールにして早くもビーストスピリットを得る。
(ビースト)スピリットについて。『フロンティア』のデジタルワールドは、人型デジモンと獣型デジモンが争いルーチェモンが収めた時代、デジタルワールドを治めるルーチェモンが闇堕ちし古代の十闘士が封印した時代、ケルビモン・オファニモン・セラフィモンが治めていた時代、ケルビモンが闇堕ちしデジモンたちの心理に悪影響を及ぼす、古代の十闘士の力を受け継ぐ十闘士までが悪と善に分かれて戦っている時代(ここが拓也たちの時代)と推移してきている。スピリットとは、古代の十闘士の力を2つに分割したものだ。2つとはすなわち、ヒューマンスピリットとビーストスピリット。十属性の闘士それぞれに2つのスピリットがあるので、デジタルワールドにはスピリットが20個散らばっていて、人間やデジモンはスピリットを手に入れると(現代の)十闘士デジモンになれる。ヒューマンスピリットのデジモンは、人型でテクニカルな動きが得意。あと悪に染まったデータを浄化する「デジコードスキャン」を行う際はなぜかヒューマンスピリットの印象が強い。ビーストスピリットのデジモンは、破壊的なパワーを誇り体躯も大きい。代わりに、人間が進化したときなどは本能に支配されて暴走を引き起こす。平成令和仮面ライダーの中間形態によく見られる暴走フォームがまさにビーストスピリットに当たると思う。敵味方関係なく攻撃してしまうような状態になるし、悪の十闘士・土のビーストスピリットのギガスモンは初戦では火光風雷氷のヒューマンスピリットの主人公デジモンたちに1対5で互角以上に戦った(グロットモン=ギガスモンがある程度活動を経ていてデータを食っているせいもある気がする)。
古代の十闘士エンシェント○○モンは『フロンティア』時期になって登場した。そのため、これまでのデジモンから系統を抽出し分類する行為を経てデザインされている。ここがおもしろくて、古代の十闘士から力を受け継ぐ十闘士もまた、かなり独自性のあるデザインながら、歴代主人公デジモンの要素をリミックスしているような印象を持っている。火のビーストスピリットで進化するヴリトラモンが本当に美しく、ある意味で『フロンティア』新登場デジモンを象徴すると思うので紹介したい。
ヴリトラモンの両腕の武器「ルードリー・タルパナ」は、パイルドラモンの腰の武器のような銃要素とウォーグレイモンの腕の「ドラモンブレイカー」、メガログラウモンの「ペンデュラムブレイド」のような剣要素を兼ねる。実際のところ必殺技として斬撃能力を持ってはいないのだろうけど、取り回しとしては近距離武器の機能を果たす。デジモンはモンスターでありながら武装化、兵器化することによって強くなるのだ。
翼は、歴代主人公の竜型進化系ポイントとして個人的に重視している。メタルグレイモンのぼろぼろの翼が好きだ。恐竜からドラゴンへ、モチーフを飛躍させる浮力を生むのが翼だと思う。パイルドラモンも竜と昆虫がジョグレス進化(joglessではない。joint+progressのjogressもしくはjogres。合体進化だね)していて、翼が重要な共通項として2体をまとめ上げている。合体などというぶっ飛んだトンデモを行っても空想上のモンスターを強力な憧れでリアリティの次元に繋ぎ留められるのが翼だ。特に今作は、人間がデジモンに進化する。自分がモンスターになれたら——わかりやすくやってみたいのは、やっぱり飛ぶことだと思う。
頭は、ドラゴンでもあり、悪魔っぽい造形。角と赤の縞模様が禍々しさを感じさせる。この縞模様の起源を辿るとおそらくグレイモン。ここでも伝統を意識している。3本角もグレイモン系列だろう、何を隠そうヴリトラモンの頭部は(玩具的事情で?)ほぼそのままエンシェントグレイモンの頭部でもあるのだ。角の生え方も見たい。グレイモンらしさで解決しそうな疑問を1つ持っていて、ヴリトラモンは邪悪さを持ちながらも正義側っぽく感じられるのはどうしてだろう。理由は、アーマーっぽさじゃないかと思っている。グレイモン、メタルグレイモン、ウォーグレイモン、特に、フレイドラモン。これらの先輩の兜を被っているデザインが継承されている。頭部が浮かび上がっている感じ、わかるだろうか。ヴリトラモンは近年の仮面ライダーにおける暴走フォーム的側面、デザインの恐ろしさを持ちつつ、ヒューマンスピリットのアグニモンとマスクを被っている(ヒーロー)共通点で連続性を保ち、正義側に立てるデザインが成立している。顎の黒いラインなど、よく効いているのではないか。
モチーフにも触れておきたい。魔人型デジモンアグニモンは、インド神話の火の神アグニだ。インド神話の知識が乏しいが、ゾロアスター教で火は善だったと思うので悪い神ではないはず。曖昧。一方の魔竜型デジモンヴリトラモンは、インド神話旱魃の怪物ヴリトラ。蛇神・邪神と言ってもいいんじゃないか。ヴリトラモンが歴代主人公のリミックスだという文脈でいうと、「魔竜型」は気になる。歴代デジモン主人公、実は高確率でパートナーを暗黒進化させてしまっている(ここ10年ではレアで『:』メタルグレイモン:アルタラウスモードは含まないなら『ゴーストゲーム』グルスガンマモンが唯一のはず)。ヴリトラモンは本来暴走ではないというかビーストスピリット自体が本能を暴走させる性質の正当なものなので、「暗黒進化」にカテゴライズされるべきなのか判断つかないが、ここでは暴走を暗黒進化としよう(そもそも暗黒進化自体、「間違った進化」ではない)。歴代暗黒進化の中で、邪竜型デジモンに分類されるメギドラモンはヴリトラモンと類似デザインと言える気がする。赤い竜で凶暴さを持っていて、燃えるような翼、爪・尾に見える鱗≒鎧のイメージ、ポイントとして白を使う色使い。また、メギドラモンの進化ツリーには成熟期に魔竜型デジモンのグラウモンがいて、なんとなく近さを感じる。
ヴリトラモンは竜型デジモンの祖とも言える古代の十闘士エンシェントグレイモンのビーストスピリットだ。歴代火属性ドラゴンの系譜を(後付けで)束ねた象徴的な1体で、デジモンデザインの凄み・おもしろみが詰まっている。それは他の十闘士にも『フロンティア』にも言えるように思う。

デジモンミュージック~スピリットエボリューション~

デジモンミュージックは『デジモン』とは切っても切れない重要な項目だ。長くなってしまっているのでできるだけ控えるが、『フロンティア』の曲・歌は、良曲揃いの『デジモン』でも最も僕の心を捕らえて離さなかった。
『フロンティア』の他『デジモン』への絶対的優位点として、故・和田光司の歌声をたくさん聴けることが挙げられると思う(『クロスウォーズ』も強い)。1話あたりで流される『デジモン』の歌は多くの場合、OP・挿入歌(進化曲)・EDで構成される。OPは多くの場合変わらず、EDは前期後期の2曲、挿入歌は進化方法ごとに設定される、という形が一般的だ。担当歌手がなんとなく決まっていて、『フロンティア』までの4作品だと、OPが和田光司、挿入歌が宮﨑歩ほか、EDがAimの担当だった。『フロンティア』はここでも異色で、前期はOP和田光司、挿入歌和田光司、ED和田光司の歌唱担当になっている。デジモンに詳しくないのでなぜなのかはわからない。和田光司祭りだ。他のデジモンシンガーの歌が聴けなくなっているので不満が出ておかしくないのだが、和田光司に想いを馳せる現在、この処置はありがたくも思える。
各曲を歌い出しだけ紹介し手短に感想を述べたい。
OP主題歌『FIRE!!』作詞・山田ひろし作編曲・太田美智彦「くすぶってた 胸に投げ入れろFIRE!!」。列車が線路を走るような一定のベースから始まる。歌詞は火に関するものが多く、汽車に燃料をくべてどこまでも走り続けようとするような地道な爆発力を感じる。和田光司のせつなくて熱い、ロックを歌っていてもバラードな歌声にマッチしている。OP映像では、サビ前の「叶うさ」「できる」を主人公5人が口パクしていて、これが不思議なほど勇気をもらえる。自身に言い聞かせている描写なのだと思いつつ、キャラが正面切って視聴者に語りかけてくる感覚があっていい演出。歌詞全体を見ても、実は彼我の境界が曖昧で、問いかけや命令の口調が目立つけれど歌い手が聴き手に語ると同時に歌い手自身にも自答しているように聞こえる。「“君を連れて”」は聴き手宛てでもあるし、弱い自分あるいは強くなった自分のことでもあるんじゃないかな。「a fire power」とは外から投げ入れるものでもありつつ内から燃え上がる消せない勇気。これはすごく、伝説上の十闘士の力でもありそれを使って進化した自身でもある作中の「スピリット」と似た感じがする。
挿入歌『With The Will』作詞・大森祥子作編曲・渡辺チェル「風を受けて立つ険しい崖では 自分の弱さばかりが見えるね」。イントロが個人的に最高で、デジモンのことを一旦忘れていた中学生初期の頃、脳内に蘇ってきたメロディ。人生最高の曲と言えてしまうのかもしれない、デジモンミュージックの中で一番好きな曲。ストレートに、逆境にある、でも物語上のヒーローのような奇跡を持っている、という決意をぶつけてくる。自分の中では、デジモンの進化曲を聴くと、進化できるというか、むしろ原初に持っていた可能性と憧れを思い出せる感覚が根付いていて、意志を持って変化に立ち向かえる勇気をもらっている。中でもこの歌は、逆境(起)決意(承)ヒーローの存在・変身(転)挑戦(結)と物語が成立しているため、勇者と同化する決意も嘘じゃないと思わせられる。
ED『イノセント~無邪気なままで~』作詞・松木悠作曲・千綿偉功編曲・渡辺チェル「ドンナニハナレテイテモ…」。遠く離れた場所にいる「君」を想う。実は(キャラソン以外の松木悠作詞のデジモンの歌全般を)難解だと思っている。たびたび登場する主語「僕たち」に「君」は含まれるのだろうか。僕たちが君を想い君以外の僕たちが新しい風を起こす、僕が君を想い僕+君(+他)=僕たちが新しい風を起こす、君以外の僕たちが君を想い僕たち+君=僕たちが新しい風を起こす、の3通りの理解ができるような気がしていて、それぞれ劇中の具体的な関係性にも当てはめられるので解釈に迷っている。僕の国語力の問題でもあるが、歌詞がそれだけ奥深いということでもある。
この6人の豪華さ、デジモンミュージックにおける偉大さは、知っている方には自明すぎるし知らない方にはピンとこないだろうから割愛する。というか僕がちゃんと知らない。すごすぎて計り知れない。ただ、名曲たちを聴くにつけ、誰が関わっていなくてもデジモンが令和に健在で新しい夢を届けてくれることはなかった気がするんだよと言っておきたい。
『フロンティア』に限らず、デジモンミュージックは元・現・選ばれし子どもたちに自分を進化させる力をくれる。外部刺激であり内部の光(もしかしたら音楽自体が人間にとってそういうものかもしれないね)。そういう意味で、スピリットみたいなものなんだ。ありがとうデジタルワールド、ありがとうデジモンミュージック。
いつかデジモンミュージックの歌詞についてだらだら感想を言う記事とか書きたいな。

いいかげん終わります

長すぎる。終わりにしよう。好きなものについて思うまま垂れ流しどこが好きなのか自覚する作業は楽しい。原点に戻れたような気持ちで、多少は元気になれたかな。一番大事な武器は心にあるから、知ってることが増えてくそのたびあきらめることを身につけたくないね。
各話について感想を述べる気力は若干なくなってきたのでまた視聴後に長めの記事を上げようかなと思う。

P.S. an Endless tale

「何処から 何処へ 時は流れてくんだろう?」
『フロンティア』の子どもたちは第1クール時点で1ヶ月以上はデジタルワールドを旅した。が、ネタバレだが『アドベンチャー』のように、現実世界での時間はほんの少ししか経過していない。この時間感覚が、子どもの時間感覚でもあり人の時間感覚でもあり、物語の時間感覚だと感じる。濃密で、飛び飛びだ。あっという間に過ぎて、ずっと残る。
省略のない物語は、存在しない。なぜなら飽きるから(笑)。いや観客や制作の事情だけではなくて、物理的にも観念的にも、たとえばカメラを回して何か出来事の一部始終を撮ったとて、その「物語の全部」を届けることは不可能だ。視聴者は、一瞬たりとも気を抜かずにカメラを視界として目撃することが難しい。その視聴者さんにとって、その出来事は自分のことじゃあないよ。よしんば完全な撮影・完全な視聴が成ったとして、「なぜカメラを回すに至ったか」始まりの物語が欠落する。

現実の現在に意識を戻す。
あなたはわからないけど僕は、あまりに無力な視聴者として、視聴者というか傍観者として、世界情勢など見てみる。でもそれは一部の切り取られた情報だ。量じゃなくて、質の問題でもあると思っている。僕は外国語ができない、人の気持ちがわからない。“そういう時”の常識を知らない、現実を知らない。歴史に疎い、人類に、疎い。
時が乱れていく。乱れってのが淫乱ならちょっとだけうれしい。酒乱ならじゃっかんめいわく。いや、戦乱の時代だね。パラダイスががらんどうになる前に、できることって何なんだろう。
その乱れがいつ僕の元に来るか。世界も人生も物語にたとえられるならば、物語の時間感覚は——。まだ来ない時空じゃなくて、今もしくは既にある話なんだぜお前が目を逸らしていただけで。そんな風にささやく声が内側から聞こえてくるよ。
「いくつの失敗(あやまち)を僕らはしたのかな?」「悲劇は途切れずに憎しみは巡る 悲しい涙はいつまで続くのでしょう」和田光司の歌声は不思議と内省を促す。
永い時を人類が歩んできた、ていうか流してきた。歩んでいくこれからも。その短い中で、動乱はあまりに多い。多すぎて動乱だけで有史以降の歴史を追えるし、それは乱れていない部分をカットすることでもある。何が有意味で正正確なのか(造語だと思う。無意味不正確を前提に振る舞うべきだと叫ぶ自分がいる)。見当もつかなくなる一方だが、未来は「フロンティア」、燻りを逆境を孤独を超えて拓いていくのだ。
ありがとうございました。We are(せーの)フロンティア~!

最後に、今回の記事で引用・表現の参考にした曲名を引用順に記しておく。あなたのためになるかはわからないけど、僕の希望だから……。
『Seven』『DiVE!!』『イノセント~無邪気なままで~』『The last element』『an Endless tale』『FIRE!!』『With The Will』『ターゲット~赤い衝撃~』『勇気を受け継ぐ子供達へ』『grace』