今日のニュース 9.11から20年

どうせ三日坊主なので明日が最終回なのだけど、今日もひとつだけニュースを記録しておきたい。

周辺事項をてきとうに流すので、長くなっちゃうかも

 

02021/09/11

アメリカ同時多発テロ事件から20年

 

この事件を思い出させるかのようにタリバンアフガニスタンを獲ったので、関心が向く。この国では忘れがたい、8月15日のことだったと思う。

大学時代、3年目の必修英語(再再履だねえ)で、ニューヨークについてのビデオを観た。そのビデオでは、慰霊碑が出てきて消防士なんかの名前も刻まれていた。体験した方の証言もあったと思う。

田村正和が亡くなったことで、今年になって初めてニューヨーク恋物語を観た。88年のドラマなので、ニューヨークといえば若者がアメリカンドリームを追う場所で、アブナイことが起こっても違和感がない、勝負の世界のような描かれ方だった。21世紀になってから撮られた再再履必修英語のビデオで俯瞰するニューヨークにも、同じ雰囲気が感じられた。

ニューヨークは多分これからもすっごい所だろうけど、でもそこに傷は遺って、今も痛んでいるだろうな。という感想を抱いたことを、今日ふと思い出した。

 

痛みの話をしよう

一般にGround Zeroといえば、同時多発テロの爆心地を指すみたいだ。このことを知った時、実は言い知れぬ怒りが湧いた。無知な糞餓鬼の安い怒りなので真に受けないでいただきたいのだけど、怒りがあった。

僕はグラウンドゼロ=同時多発テロを知る前に、グラウンドゼロ=広島長崎だという知識を得た。小学校の図書館にはだしのゲンがあったし、妙に納得していたのだ。グラウンドゼロは、あまりにも大きな原点(x=0,y=0、爆心地!)で、同時に、その地の人々の営みやこの国の歩みを、一旦無に帰すことも暗喩しているから。

広島長崎のグラウンドゼロと、同時多発テロのグラウンドゼロを、中学生くらいの僕は比べてしまった。未熟な僕は、同時多発テロの方がメジャーになることにとてつもない驕りみたいなものを感じ取ってしまった。原爆の痛みを想像しない国がその程度の痛みで同列の言葉を使う、それどころか言葉を塗り替える、そんなことがあっていいのかと「痛みへの近さ」が「痛みの凄惨さ」に直結する人間の感覚に拒絶感を持ってしまった。

今、ほんの少しは分別がついてはっきり言えることとして、少なくとも痛みを比べるなんてことは間違いだ。そんな他人事として扱うようなことは発想してはいけない。邪悪だ。ただ一方で、「痛みの近さ」に支配されているという実感は、薄れないかな。

20年経った。この国では3.11も自ずと思い出される。ニューヨークには20年間、痛みと戦い続ける人がおり、福島には9年半、痛みと戦い続ける人がいる。そういう、個々人のグラウンドゼロがある。「わたしの同時多発テロ」、「わたしの東日本大震災」そういう他の誰も肩代わりできない痛みが、人を苛むものなんじゃないか。同時多発テロや広島長崎や他の爆発を社会的にグラウンドゼロと呼ぶことは、痛みの重さが計り知れないという意味で仕方のないことなのだと今は思っている。

ここまでで挙げたような重大事件にひょっとして一切関係していない(本当は、そんなはずはない。)気になるパンピーな僕は、そういうグラウンドな物事にどう立ち回ればいいのだろう。考えたことがある。

3.11を話に出したのは日付の類似だけの意図ではなくて、「痛みの近さ」を意識するに至った「わたしの○○」があるのだ。正確には、ほぼないのだ。

2011年3月11日に大阪で中学2年生だった僕は、何の記憶も残らない日々を送っていた。人生でも有数の虚無期間で、ペルソナ3ポータブルしか楽しみが無かった気がする。P3Pで命を繋ぐ、あらゆる意味で成績の悪い子だった。超絶の無関心を身に付けている僕は、震災にも心が揺れなかった。それを、恥じている。大阪ですら揺れたらしいのだけど、当時学校にいた僕は全く気付かなかった。画面の中の出来事だった。遠いのだ。関心のない人にとって、別プレート上のそれでも同じ国のあまりにも痛い事件は、何でもないことに割と近かった。春休み直前の学校は普通にあるし、親の仕事に影響ないし、生活が普通にできてしまう。震災よりも、変わらずいることが許されることにショックで、少しだけ目が覚めた。「痛みの近さ」は物理的距離の問題でもあり、関心の問題でもある。

だから、でもないけど、だから、正直正確には語ることはできないアメリカの同時多発テロから20年を、今日の記録としたかった。痛みが在ると。

恥ずかしい話があって、同時多発テロを一番深く記憶に刻んだのは、デジモンアドベンチャー02のドラマCDをネットの動画サイト上で聴いた時だった。ニューヨークにもパートナーデジモンを持つ人がいるので、被害を抑えるのに役立った、という歴史のイフに言及していた。2001年9月当時満4歳の僕は、中高生になるまで同時多発テロをちゃんと知らなかった。けど神風特攻隊よりも先に同時多発テロで自爆という概念を知った。そういう世代かもしれないね。僕の痛みへの無関心を恥じるし、当時の子供達へ当時の記憶を残してくれるデジモンという作品には誇りを持てるので紹介したかった。

 

走り書きなのもあって、いつにも増してまとまらない酷い文だ。けど痛みに関しては、まとまらなくてよいと思っている。知らなければならないとか決して忘れてはならないとまでは思えず、ただ痛みを抱える人はいる。また、事件は分かち合えない痛みを与える。

そういうことを同時多発テロから20年で改めて感じる。あっさいけれど、ニューヨーク恋物語や落とした必修英語や02のドラマCD…と僕には僕の9.11が掘り出せるわけで。悼むことで初めて痛むということも、あるのかもしれない。